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明石家さんま【パチプロ】として暮らしていた東京貧乏時代

[ Date ] 2018.03.22
明石家さんまが3月4日放送のラジオ【明石家さんまオールニッポンお願い!リクエスト私の東京物語】でパチンコへの思いを明かした。

「高校の時に小遣いをあまりもらえないので、授業抜け出してパチンコに行って、サッカー部の部活の前に戻ってきて、いろんな物を買ってきてあげるのが決まりになっていた。

なんでそんな勝てたかと言うと、父の水産加工業の会社に勤めていた人が辞めて、パチプロになっていた。その人に「パチンコに勝ちたいのか?」と言われて、釘を教えてもらった」

そのパチプロの知人に当時のパチンコの要である釘の良し悪しを伝授してもらったと言うさんま。芸人になってからもパチンコで生活していた時期があったという。

関西で笑福亭松之助に弟子入りしたが、東京で一旗あげようと女性と上京して「駆け落ち事件」を起こす。当時、東京・小岩で8000円の家賃の部屋に住んでいたころのエピソードも話していた。

「あまりお金持ってきてないから、パチンコで数ヶ月暮らしていた。共同便所で風呂なし。11時過ぎると銭湯に入れなくて、冬に水道の水で頭を洗って、死ぬかと思った」

その後、大ブレイクした明石家さんま

大成する男はパチンコ好きが多いのかもしれない。
明石家さんま【パチプロ】として暮らしていた東京貧乏時代
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